2010年01月02日

「島民のルーツ」と島の歴史

屋久島町の姓では全体の約1割を占めている日高さん、東日本では珍しい姓ですが、日高さんたちの集まりが、日高姓の多い吉田地区で始めて行なわれました。
当日、地区の生活館へ10時近くに着いて受付で手続を済ませると、既に、およそ70名の日高さんが集まり、他に新聞記者の方の顔(ボランティアでもお見かけする)も見えました。
1初会合.JPG

10時に式典が始まり、実行委員長、来賓の方々がご挨拶をしたのに続いて、今までに史跡、墓石などに刻まれた記録や家紋などで島民のルーツを研究されている方の講演が始まりました。
日高姓は平家の流れをくむ人たちのようで、平家の落人が南西へと下っていたときに、黒島辺りから屋久島の吉田地区へと渡った集団が日高さんのルーツのようです。
屋久島に築かれた平家の城は吉田・湯泊・船行の3箇所で、それぞれが鹿児島側の3島、トカラ列島、種子島と地理的に重要な箇所にあり、屋久島の日高姓の分布も、ここ吉田地区が2人に1人、原で3人に1人、船行で7人に1人と高い比率を占めていますが、湯泊には1人もいないとのことです。
数の多い順では尾之間167人、原153名、吉田102名、宮之浦100名と続いています。
研究された資料や平家の里に伝わる日高姓のルーツなどを辿ると日高姓は全国的には宮崎県が27%と鹿児島県の16%を上回り、福岡県の8%が続き、南西地域に集中しています。
発祥はさらにさかのぼることができて、高貴な方の系統にも繋がることが想定されるようです。
3神社.JPG
約45分間の講演会が終わって、全員日高神社詣でとなりました。
4神社.JPG

村道の山側に建つ鳥居を潜って山道を登り、4箇所目の鳥居を潜った平坦地に日高神社はありました。
神社の傍には屋久島では存在しない黒い岩が、海辺の森山神社の傍にも同様の岩があり、ご先祖様が屋久島に来るとき外部(吉田地区前方にある島)から持込んだのではないかと云われているそうです。
5お参り.JPG

皆さんがご先祖様にお会いできたかのように、暫く、神社、黒い岩やその周辺を見て廻っていながら、神社の前に自然と礼拝する長い列をつくって、次々に神社の神様を拝んでいました。
参拝を終えた帰路は、皆さんご先祖様に思いを馳せるかのように、ガイドの方に質問を浴びせながらゆっくりと山を下りて生活館に戻るとこれからが式典最後を締め括る懇親会です。
テーブル上には、既に懇親会用にと飲み物、獲れたての赤バラ(天然のブリ)お吸い物などが並べられていて、皆さんがそれぞれに座るご自分の席を選んで座ったので懇談会の始まりです。
7懇親会.JPG
地区の方の乾杯の音頭で日高さんたちの乾杯は始まり、親しい方々たちの交流が続くなか獲れたて、プリプルと歯ごたえのあるブリの刺身などを肴にお酒も美味しく飲めました。
今回が初めてのためなのか少し残念なのが、この式典のアンケート集めとか、皆さんの感想など生のご意見などを聞かせてもらえる場がもたれれていなかったこと、次回を期待したいと思っています。
しかし、屋久島の歴史を考える上でこの会合が大変参考になったことは確かです。
ある時期、屋久島に社会を形成している集団が上陸して吉田地区を拠点に島の防備を整えて自治権が確立されたことは確かで、国際的にも屋久島の歴史が始まった時期であるとも云えるようです。
引き続いて、「屋久島の歴史」講演の機会があれば、是非、お目にかかりたいと思います。
posted by パイン at 09:23| 鹿児島 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | KK・アセビ の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
永田と名付けられた岳、川、浜と集中しているのでさぞや永田姓が多いと推定したのですが永田姓は無く少し意外でした。吹上の金峰山町の永田地区、峠を越えて谷山に永田の地名に永田川、更に確か宇宿のあたりまで地名が繋がるので関係あるかと推定していました。また高校にも同姓が多い。少し飛びますが長野県の諏訪地区は永田だらけです。地名の謂れは何か伝わっていないのでしょうが。
Posted by 永田達夫 at 2016年01月31日 23:31
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