2010年03月09日

一湊でミュージカル劇「いいもどし『番屋峰に陽が昇る』」

こちらからは遠い一湊で校区の住民が一体となって取組んでいる良いミュージカル劇が公演されると聞いて関心を持っていましたが、公演が夜の7時なので、半ば諦めていました。
ところが無理なお願いでも通じることがあるものですね、今まで色々と便宜を図ってくれている友人の1人が遠方にも関わらず車の送り迎えを引き受けてくれました。
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公演開催場所の小学校体育館に着くと、館内はすでに1階、2階とも満員で、立見席が出来ており、ざっと観客数を数えると750人、それに出演者を加えるとゆうに800人を超えるではありませんか。
こんな遠くにこんな時間こんな人数が集まるなんて、4〜55歳の有志約100人が手弁当で練習に励んでいる様子が口コミで広がり、これだけの大人数を動かしたのだろうと思いました。
物語は孫とお祖父さんの会話、孫を独り占めにされやっと探し当てたお祖母さんの会話から始まり、これからも繰返される主要な場面では必ず流されるこの主題曲とともに物語が展開します。
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お祖父ちゃんは私に何でも話してくれる、番屋峰のことやそこで働いていた兵隊さんたちのことなど、兵隊さんの敬礼はかっこがよいって、そんなのがかっこよいいの?そんなことを言ったら駄目です・・・
それは一湊から輸送船で沖縄戦に出兵し消えた大勢の兵隊さんを見送ったときのつらい心境でした。
物語の紹介は次回にさせて頂き、今日はミュージカル劇を見た感想を報告させて頂きます。
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会場(一湊小学校体育館)の入口には、大空襲で慈雨が降るまで3日三晩間も燃え続けたにも関わらず見付け出して現在まで大切に保存されていた、貴重な当時の写真が展示されていました。
写真は当時の漁港や村の家並み、漁村の生活ぶりや漁の様子など今となっては貴重な資料です。
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2010年03月07日

屋久島のタンカン絞り

2月は屋久島の名物ミカンの一つであるタンカンの出荷時期で、ミカンもぎ、選別、箱詰めに出荷など慌しい日々が続きましたが、忙しさもようやく峠を越えたようです。
今は第二段階となるタンカン絞りに移り、栗生区民センター、ポンタン館などの食品加工施設内には、タンカンが持ち込まれてタンカン絞りが行なわれる光景が見受けられます。
今回、何時も油を売っている尾之間にあるお店(雑談)の仲間がタンカン絞りを行なうことを聞きましたので、その応援に1日だけ参加しました。
場所はポンタン館の食品加工工場、集合時間の1時間前に着くとそこには既に100を超えるキャリーが運び込まれて作業場へと移されている最中でした。
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参加者は20名、大半が女性、手先の器用な女性は大切だけれども重さ20sのキャリーを運ぶ作業もあるので男性も必要だと言われて少しは気が楽でした。
作業姿は長靴、作業着、首から下げるエプロン、帽子、手袋、腕通しにマスクとかなりの重武装です。
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2台の大型作業台に10名に分かれて着くと皮を剝き易くするため茹でられたミカンがキャリーで運ばれると、両サイドの人がミカンがばらけない程度に4つ切りにすると残りの者が皮を剝き、ミカンの実は纏めてキャリー内の袋に、剥がした皮は大きな金属性受け箱に入れていく。
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袋は満杯になるとミカン絞り機にかけられ絞り汁は加熱大釜に入れて加熱し、過熱後1斗缶に移されて缶詰にされるとジュース(瓶詰め)作りの原液となります。
ミカンの皮と絞り粕はトラックに積み込まれて、皮は蚊除けなどの健康薬品に、絞り粕は畑などの有機肥料と全てが有効に利用されています。
作業者は処理工程により役割分担されていて、ミカンを茹でる、切る、皮を剝く、絞る、缶詰にする、それにそれらの加工材料を運搬するというように分担されて効率よく進みます。
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タンカンの仕事は纏まって作業をすることでお互いの意思疎通が図られ、知っている人の名前と顔が一致する、活躍されて名前を知る方の親族と知合いになる、ブログを読んでくれている人等などお互いの交流が豊になり、単調な仕事の中で屈託のない意見交換が図れることで、最後まで作業を楽しめます。
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何時しか100キャリーを超えるキャリーの山もぐんぐん減り、3時頃になって仕事の終りが見えた頃、最後の休憩にしようとの声、茶菓子に飲み物などで雑談をしながら作業終結に向けて頭の整理です。
残したキャリーの皮剝きも片付き、絞りも缶詰も終わると、最後は使った容器、機械、作業台そして床上の清掃です、終りの見える作業には気合が入り、瞬く間に今回の作業は全て終わりました。
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出来上がった1斗缶は保存が利き瓶詰め作業でジュースになるとのことですが、作業体験でタンカンジュース作りの行程がよく理解できました。
それとともに満足感を味わえたことは作業者たちとのコミニュケーションで、色々な人の意見を聞いて今まで知らなかったアイディアなどが膨らんだようで、屋久島暮らしを楽しむ1日となりました。
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2010年03月04日

高磐岳(豆腐岩)登山

 奥岳に登るとき登山愛好家なら誰でも何時も目に留まる頂上に大きな岩(豆腐岩)を載せた奇妙な形をした高磐岳が気になっているのではと思います。
宮之浦岳など奥岳に登るとき確かめため立寄るのには我々の体力では多少無理がありそうなどで、1日登山を楽しむルート、先ず高磐岳に登ってから、黒味岳にも立寄ることを決めました。
登山ルートは花之江河から日頃のルートを外れて、湯泊歩道の方向へ進みます。
数日前、リーダーの友人が高磐岳上り口にマークを付けてくれたのですが、登り口附近の木々が不法に切断されているとの情報が伝わり、登り口の発見し難いのではと心配していました。
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 心配ごとは当りました、最初は目印となる頂上の大岩(豆腐岩)がだんだんと近づくように思えましたが、その内に目に写らなくなってしまったからです。
モラルに無神経な登山者がいると、多くの登山愛好家が迷惑するので気をつけて頂きたいですね。
リーダーが我々にしばらく現地点に留まるようにと伝えて、前方の様子を確認するため先へと進んで、しばらくしてからやはり道を間違えているようだ、戻る決断も大切との説得、その通りでした。
目印を付けたと伝えた周りの情報からそれらしい場所までは約1kmまで戻ったでしょうか、それから登山入口のマークを全員で探しますとありました、切られた小枝にマークがついているものです。
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 登山口に間違えないからそこを登ろうと決めてマークに従って登っていくと、再び目印となる頂上の大岩が現れてだんだんと近付いてくる様子が分り、安心して登り続けました。
高磐岳の登山道は余り観光客に荒らされていないためか、沿道には方々に小枝が被さっていて、登山帽、リュックや服などに引っ掛るので、登りにくい登山道ではありました。
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 頂上付近まで辿り着いて最後と思われる藪を潜ると目の前に豆腐岩が現れました。
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posted by パイン at 10:39| 鹿児島 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | KK・アセビ の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月02日

屋久島を楽しむ会!

屋久島は生命の島といわれるのは、巨大岩でさえ緑に覆われるほどで島全体に生命がみなぎっていて、一旦開墾しても直ぐに自然の生命が蘇るから農園や菜園を維持するのは至難の業です。
友人が屋久島を訪れて里村を巡り先ず驚くことは、屋久島は雑草をそのまま放置しているので耕地が見えないけども、屋久島の畑は雑草がよく似合うといいます。
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しかし、耕地が素肌を見せている場所(庭先に開いた菜園)があり、その人たちはこまめに庭先に出て耕地とコミュニケーションをするので、耕地の方も世話人に信頼を寄せて伸び伸びとしている証だと思います。
その方々に頂く野菜は甘みがあり、生でも焼いてもそのまま食べると野菜本来の味わいを感動できるため指導を受けると我家の菜園も新鮮な野菜や椎茸が取れ、今では野菜を買わなくなりました。
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前置きが長くなりましたが、私たちの仲間も4年前に荒地を開墾して耕地化するため覆い茂るネピアを共同で刈取る大掛かりな作業に取組みました。
皆さん草刈機、鎌や作業着を持ち込み、慣れない機械を背負ったり、鎌を使い開墾に向かい4mを超える高さに覆い茂るネピアの中に入っての作業はさぞ大変だったことでしょう。
畑の姿が徐々に見えてきて開墾地全体の作業が終り、参加者で使い道を話し合いながら耕作希望者に分け与えられるに至ったときは、一日の作業の楽しさとともに感動もしたことでしょう。
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それから4年、菜園の管理と育てた作物の消費先に目処を立てたグループが現れた反面、雑草が茂って作物が育たない畑や元の荒地に戻ったものなどと荒地開墾と活用に関する今後の沢山の教材ができました。
その荒地を借受け開墾に再挑戦、ネピアを釜やナタで切倒す手にマメが、そのマメが血豆となり皮膚がまた剝けるなどかなりの重労働でしたが終わってみるとやはり楽しみの方が数段上回りました。
開墾した畑は私の家から20分、菜園を楽しむ環境には程遠いことや手間の掛からないことの提言や苗を提供してくれる人も現れたなどのことを受けてバナナ畑にしました。
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雑草取りなどの畑の管理は菜園のように世話をすると手間が掛かりるからと耕地の素肌を曝さないようにネピアの衣を着せろとのことにも従いましたから、うまくいく運ぶことを期待し楽しみにしています。
応援してくれた人は3名4日で畑が出来上がり結構楽しめました、内2名は屋久島に来た研修生だったのでいい想い出ができたと帰ってしまいましたので新たな仲間が必要です。
畑の管理は3〜4人と考えていますので、バナナを育ててみたい方をあと1〜2名の方を募集します、勿論費用は掛かりませんので興味のある方が現れるのを待っています。
posted by パイン at 19:05| 鹿児島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | KK・アセビ の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月28日

屋久島の変わった楽しみ方

私たちのグループは月に一回集まり、西部林道などの散歩、バーベキュー大会、映画鑑賞、講演会やボランティア活動などを開催して、お互いに交流を図っています。
今回は身近にある「お金」を何時もグローバルな視点で捉える国際派のSさんを講師役に立てて講義を聞いた後、お互いの意見を出し合う会合を持ちました。
Sさんによると「お金は最近の1970年くらいまであった金を中心とする価値の裏付け」が、その後変革されたのに高年層は「過去のお金」にどっぷりで、現在社会のお金に対する考え方が分らないことで不満や不安を感じているとのことです。
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1971年に世界の秩序を変革するニクソンショックでドル・金の交換停止と変動為替相場制への移行で「お金」が庶民の生活と必ずしも一心同体ではなくなったとのことです。
発展をし続ける経済を支える「お金」の増加は、それをコントロールして得をする国々と経済的資源を見出せずにインフレに陥り経済が破綻する国々とを作る役割をしたとのこと。
非常に難しい講義でしたが講義の主旨に反論したのは豊富な経験をもつ高年層、持前の才能で理論整然と主旨の是非や論旨展開の不明確さなど講師への質問が集中しました。
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一方の若年層は高年層の主張する主旨が難しいので最初は聞き役を務めていましたが、その主旨が分りだすと質問が現実から乖離しているのではと感じ取ったように思えました。
広い年齢層に渡る人たちの意見交換は価値を生むようで、講師の主旨が私も含めて皆さんに見えてきたことが幾つかあり、高年層は頭を柔軟にして脳を活性化せよとの勧めにとれました。
パソコン:特殊な専門分野であったものが、突然に大衆の前に高年層には手に負えない状態、それが更に進化して大衆に情報を提供しているが、高年層をツンボ桟敷においてしまいそう。
携帯電話:高年層の家に置かれて債権という財産の裏づけになりましたが、突然携帯電話が現れたと思うと10年も経つと高年層には手が付けられないものになってしまいそう。
個人金融:高年層にはダブーであった裏道家業、それが大衆に便利な銀行に成長しており、新たなローンを開発したりして庶民の救世主になり得るようだが入り込めそうに思えない。
等など肩の凝る話で、出席していない人に分るように記述できませんが、屋久島生活を楽しむアイディア(生涯学習など)が浮び上がるような気もして肩の荷が降りる気分でした。
講師は屋久島で希望があれば何処へでも出向いて「お金」の話をする意向とのことですから、屋久島の活性化などのヒントでもと思う方はご意見を是非お寄せ下さい。
posted by パイン at 21:03| 鹿児島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | KK・アセビ の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月26日

屋久島に春が来ました

友人が自宅近くの松峯で桜が満開になっていると誘いに来てくれたので一緒に行きました。
行ってみると桜は見事な満開状態で、花びらが既に舞い降り始めていました。
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近所の人たちは弁当を持ち寄って桜の下に集まって食事をしながら花見を楽しんでいますが、都会のように場所の取り合いなどは全くなく気の合う者同士でのどかな雰囲気を楽しんでいます。
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桜の枝先には可愛いメジロがたくさん集って蜜を吸うのを大きなヒヨドリが追い払って横取り、人や車が近付いて逃げると再びメジロが寄ってくる、そんな微笑ましい光景がありました。
いつのまにかもう春が来たのです、鳥の鳴き声、畑の虫の動きも気がつけば活発になっています。
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桜見の帰りは散歩道にひっそりと佇んでいるモクレンを思い出して道草をしながら向うと、途中の生垣には色々な色のツツジが咲き、華やかな花の絨毯で覆われているように鮮やかな生垣もありました。
お目当てのモクレンの木は何時ものように野原の片隅にあり、静かに期待通りの紫の花を咲かせていました。

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ついでにと自宅の裏庭の山道を歩くと沢山のツワブキ、ワラビやゼンマイ等も見当たりましたので、手始めにツワブキを手に持てるだけとって持ち帰りました。
屋久島には花や山菜を始め豊な自然を身近に感じる熱帯的な魅力がいたるところにあります。
仲間を誘い山菜採り、磯物獲り、菜園の衣更え、海釣りや山登り等など奥が深い屋久島の自然に浸りたい、年甲斐もなく外へ出たがる何時もの癖が目を覚まして騒ぎ始めました。
posted by パイン at 17:09| 鹿児島 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | KK・アセビ の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月24日

屋久島の盛久権現神社

盛久神社は、春牧区民センターの裏手にあり、鎮守の森にひっそりと佇んでいました。
神社の境内に入ると境内は清掃が行届いていて、神社の内もきれいに手入が行届いて、今でも集落の方々に如何に崇拝されているかが分かるような気がします。
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神社を参拝すると奥の方には扉があり、そこからご本尊が大切に安置されている建屋に繋がっています。
この盛久権現神社は屋久島の平家史を知る上でもっとも大事な史跡である上、観音信仰の権現としても島内では大変有名です。
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そして、このご本尊が安置されている建屋の左手には、一族12体の権現様がご本尊を守るかのように並び、地区のGGボランティア仲間が月2回の清掃をしています。
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神社の左手に設置されている石碑「盛久権現神社」の由来を要約してみました。
平盛久は伊勢の国の平盛国の八男で一族とともに清盛に仕えていた。
壇之浦の合戦で源氏に敗れ都に隠れていたが捉えられ鎌倉の由比が浜で切られるところを清水寺千手観音の加護によって助けられた。
後、天皇を慕って南に下り、硫黄島(屋久島の北)から屋久島に渡る途中、船の上で病気のために亡くなり歌江川尻(現在の春田浜)に流れ着いた。
そこで先に着いていた一族は川口附近に丁寧に葬り、戦の守り神として長く住民の崇拝するところとなった。
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由比ヶ浜は結婚式を終えて最初に宿泊した場所、又、千手観音の加護とは歴史物語などで断頭のために振上げた刀に雷が落ちたことを意味しているものと思われます。
歴史に興味がおありの方はバス停「盛久神社前」で降りると直ぐ分りますので、観光の途中にでも立寄ることをお奨めします。
posted by パイン at 16:55| 鹿児島 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | KK・アセビ の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月21日

屋久島とミャンマーの架け橋ティダーさん

人生は出会いと感動の積重ね、メコン川の旅を思い立たせた屋久島の仲間たちのお陰で、今回もやはり出会いと新たな感動がありました。
ミャンマーでガイドを勤めてくれたティダー(Thida Win)さんは明るく活発なお嬢さん、初めてお会いして日本人と変わらないほど流暢に日本語を話すことびっくりしました。
事務所にくる日本人と会話をすることで覚えたとのこと、日本人との出会いを捉えて日本語をマスターしたアジアでは珍しいほど自主性の高い女性です。
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案内してくれたインレー湖で湖上生活をしている村や空中都市マチュピチュに引けをとらないハッピー山頂上の寺院、湖上の畑作風景や山頂の大パノラマなどが今はいい思い出となっています。
別れる時に手紙を書くよと告げると、有難う、でも忙しくて家に帰ると「バタンキュー」よ、返事が遅れたらごめんなさいねと見事な話し振り、屋久島の仲間達は彼女とEメールをしているほどのしっかりものです。
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ホンジュラスではベルキスさんと出会い、そこで働いている若者ラムセスさんやイェセニアさんはJICAに招かれて日本で研修、再会して東京や横浜を案内する感動がありました。
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グァテマラでカルメンさとの出会は当時中学生のアンヘラが私に懐いたお陰でカルメンさんが車で牧童の結婚式や田舎の別荘などいいところを案内してくれました。
アンヘラも立派に成長して今では医学生となり、訪ねると喜んで懐に飛び付いて来ます。
ティダーさんは屋久島の仲間たちがいるのを始めとして屋久島とは縁が深いので、連絡をとるいい機会だとおもいます。
今後どのような機会が生まれるのか、これからの成り行きを楽しみにしています。
posted by パイン at 11:09| 鹿児島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | KK・アセビ の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月18日

西部林道へ観音崎の清掃

西部林道地域の清掃は、屋久島多様性保全協議会などによりボランティア活動が活発ですが、活動を積極的に行なっている方に観音崎の清掃を呼びかけられたので参加しました。
参加者数はおよそ40名で、子供も沢山参加していました。
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清掃する場所の海岸は県道よりも随分低いところにあり、辿り着くには草木が覆い崖のような急斜面の山道200mほど下って行くことになります。
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足場が不安定で、ロープ頼りの所も幾つかあって下を覗くと海面はいつも遥かに下見え、下りるのに時間が掛かりましたが、何とか全員無事に目的の海岸辿り着きにました。
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ほっとしてスタート地点の県道を望むと遥か彼方です、よく降りてきたものだと関心しました。・・・続きを読む
posted by パイン at 22:14| 鹿児島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | KK・アセビ の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月16日

大川の滝(名滝百選)は豹変したことがありました

大川の滝は日本名滝百選に選ばれていて、川の流れが岩場を伝い凛として滝壺に落ちる様子は何時も観光客の目を楽しませているのはご存知の通りです。
それはもう1年以上前(時効)のことなので、今ではそれほど話題性がないと思い取上げました。
研修センターで研修の一環として研修生とともに大川の滝へ見学に行ったときのことでした。
当日は雨模様だったので、栗生公民館で雨の止むのを待ってから出掛けました。
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大川の滝は何時ものように悠然とした表情で凛とした流れが滝壺へと流れていました。
皆さんで滝を見ながら屋久島の自然について色々な意見や感想を語り合っていたその時でした、滝の上方で大木が折れるような大きな音が聞こえると講師が大声で道に上がれと怒鳴りました。
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全員が失礼なヤツだと思いながらしぶしぶ道に上がる間もなく大川の滝から噴水のように大量の水が吹き出て濁流が川幅一杯に広がって流れだしました。
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我々が予想すら出来ない大自然のパワーと屋久島を熟知した講師の的確な判断に感動を覚えながら呆然として豹変した大川の滝の流れをしばらく見つめていました。
大川の滝がこの様な表情を見せたことは今までなかったとのことで、大川の滝の上流地域でドカ雨が降ったのが大量の水となって今ここに流れて来たとのことです。
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この様な二度とないであろう記念すべきタイミングに屋久島の自然を熟知する人と居合わせたことは幸運でした、記念すべきショットも撮れてご機嫌になった研修の一時でした。
屋久島の自然はとても奥が深いので、何事にも経験豊な人が大切ですね。
posted by パイン at 13:49| 鹿児島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | KK・アセビ の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする